おす邸の天井

ダメな男の日常を綴る場所

ジョーカー感想

はろー、アル中お兄さんだよ。

 

月並みだけど『ジョーカー』を見てきたので思いのままをツラツラと書いていくよ。

 

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もうね、ホンマ最高だったけどスゲー疲れた。

冒頭からカロリーたっぷり、二回目観たいけど持病の発作出まくるようなシーンの連続で…劇場で見るのはイイカナー。

 

でね、色々言われてるけど正直お兄さんは映画のオマージュとかそこまでわからんかったから思った所だけ。

 

 

 

この先、大量のネタバレが含まれます!

本編視聴がまだな方は読まないで下さい!

また、この感想はアル中お兄さんの戯言です!

上記の事に注意してお読みください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.アーサーは善人じゃない

 

スピードワゴンじゃないけど『生まれついての悪人』なんだと思う。

物に当たるわ、ストーカーするわ、なんというか極悪人ではないけど『等身大の悪人』って感じ。

電車のシーンだって別に女性を助けようとして助けた訳じゃないし、発作が出なかったら見て見ぬフリで終わってたはず。

あと、自分より弱い相手には強く出たりね。

(劇中だとアーサーより弱い対象が少なすぎて分かりにくいけど、小人症の同僚を笑ったり母親に怒鳴ったり。)

 

拳銃を常に持ち歩いていたのだって結局本音で理由を話すシーンは無かったし、『いつか撃ってやる』と思いながら持ってたんだとしたらやっぱり善人ってのは違和感。

 

じゃあなんで善人のように見えてたかって言うとそれはアーサーには『人並みの倫理観』があったから。

「銃は危ない」「子供の面倒を見たい」とか普通の人が思うようなことをアーサーも思って行動していたからなんだよね。

これはアーサーが『普通の人』として長年教育されていたり過ごして来た社会の中で自然と刷り込まれてきたこと。

 

加えて薬やカウンセリング、母親の介護なんかで『善良にならざるを得ない』状況があった。

これらが本来のジョーカーとしての本性に蓋をして、アーサーという善良なただのオッサンに見えていた。

 

 

周囲の環境がアーサーを狂わせたのではなく、それまでアーサーが守っていた倫理観や信頼していたモノを周りが破壊していった結果、剥き出しの悪人…本当のアーサーである『ジョーカー』が現れた。

 

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だから『笑顔の仮面を被れ』ってのはアーサーだった頃の自分のことなんじゃないかな?

だってジョーカーは病気ではなく心の底から笑えるようになったんだから。

「アーサーがジョーカーに変貌した」というよりは「アーサーが本来の自分に戻った」って言った方が個人的にはしっくり来るかな。

 

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あと、アーサーの本質がジョーカーになってからも変わっていないと言えるもう一つのアイテムがタバコ

アーサーは物語の冒頭からジョーカーになった後も終始タバコを吸い続けている。

これはアーサーの不変性を象徴してるのかなって。

 

アーサーの本質はジョーカーになる前もその後も何も変わってはいない。

 

アーサーは元から悪だった。

 

 

 

 

 

2.オールドアメリカに『今』を感じる理由

 

今作の舞台は1980年代のゴッサム。現代人が親近感を湧かせるにはミスマッチな背景に感じる。しかしながら観た人間がどうしてここまでリアルを感じてしまうのか。

答えは簡単、今作で描かれているのは生々しい現代社会そのものだから。

 

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マーレイのショー、今時のバラエティとは少し違う古いタイプのワンマンショーだけど僕らはこれと似たモノを普段からよく見ている。YouTubeで。

マーレイはさながらトップYouTuber、作中に出てきた無名のコメディアン達は芽の出ない配信者達といったところだろうか。そんな有象無象の一人がアーサーであり、そしてそんなアーサーの動画が決定的な事件を起こすキッカケになった。

 

マーレイはアーサーの動画を自分のチャンネルで無断転載し、ネタにした。現代人が『よく目にする光景』そのものだ。

見慣れたシーンだからこそネタにしたマーレイも、ネタにされたアーサーの怒りにも親近感が湧く。

 

 

 

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印象深いピエロの仮面現代社会を表す重要な記号だ。

アーサーの起こした事件以降、街にはピエロの仮面を被り暴動を起こす市民達が溢れ返る。これは正に現代のSNSを象徴してる。匿名の元に繰り広げられる言論、主張、そして暴力。司法の象徴である警察ですら取り締まれない。そしてアーサーもまたそのピエロの仮面を使い、人々に紛れ警察からの追跡を躱す。

 

 

 

そしてアーサーが自分の居場所を見出したのも、そんな仮面を被った市民達の中だった。

自分が起こした騒動に、良かれ悪かれ多くの人々が反応する。そしてアーサーは彼らの反応を見たいが為に更なる行動を起こす。

現実の世界ではなく、ネットの中に自分の居場所を見出し注目を浴びる為に炎上行動に走る。

現代社会の歪みそのものだ。

 

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正に劇中のゴッサム現代のネット社会その物を現してる。

 

 

 

3.映画『ジョーカー』が言いたいこと

 

ネットで散見する感想を見ていると「周囲の思いやりがないと誰でもジョーカーになってしまう」みたいな物が多く見られるが、お兄さんの考えは少し違う。

 

話は変わるがこの映画にはやたらと『鏡』のシーンが出てくる。

 

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冒頭のメイクシーンから始まり殺人後のダンスシーン、ウェインと対面するトイレ、自室で髪を染めるシーン、そしてマーレイショーの楽屋。数えだすとキリがない。

何故こんなに鏡を推すのか?

勿論、『ジョーカーに変貌していくアーサー』を魅せる為の演出でもあるのだろう。

だけど本当は違う、『映画を見ている視聴者に鏡を見せている』のだ。

 

鏡を覗き込んだ時、それが映すのは自分の姿。

では視聴者が覗き込んだ『鏡』には何が映っていたか?

 

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『ジョーカー』だ。

 

そう、この映画は警告を送る作品じゃない。

「誰だってジョーカーになってしまう」のではなく「お前ら全員ジョーカーなんだよ」と言っている作品なのだ。

 

なんでこんなに見た後に気分が滅入るのか?

自分の中の『ジョーカー』を2時間以上掛けてじっくり見させられるからだ。

 

本編を『鏡』に見立てる為に、主人公であるアーサーにはこれでもかと色々な要素を持たせてある。

病気、介護、貧困、いじめ、過酷な労働…そして夢。

 

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アーサーは決して善人ではない。だが極悪人ではなかった。普通の人間が抱くようなちょっとした悪心。ほんの少しの出来心を持つ一市民だった。

それらを肥大化させられ、守ってきていたルールを周囲に次々と壊されていった時、アーサーはジョーカーになっていた。

 

人間誰しも汚い部分がある、弱い心がある、その人間共通の部分をこれでもかと見せてくる。

 

それを直視させられた時、あなたならどうする?

アーサーのように笑うのか、それとも…。

この映画が問うてる部分はそこだと思う。

 

主演のホアキン・フェニックス曰く、「この映画を見て何かしちゃうような奴は映画に限らず何でもキッカケになってしまう」とのこと。

 

正にその通り。

この映画が見てる人間の何かを変える訳ではない。

 

人の本質は変わらない。

アーサーのように。

 

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4.まとめ

 

なんだか感想と言いながら考察じみた文章になってしまった。

 

監督曰く「見た人によって千差万別な答えが返ってくる」作品らしいので、各々の中に答えがあればいいと思う。

アル中お兄さんにはこういう風に見えたってだけ。

 

ラストシーンとか、そもそもブルースとアーサーの歳が離れすぎじゃね?とか、まだまだ謎多き本作。

正直もう一回見たい。

けど劇場で見るのはしんどい。

円盤買おう。

 

まだまだ語りたい所とかあるけどキリがないのでこの辺で。

もう見たって人と酒飲んだ時にでも喋り倒そう。

 

それじゃ、バイバイ👋