今こそ知っておきたい『腸チフスのメアリー』
すていほーーーーーーーーむ!
どうも、アル中お兄さんです。
今回は例のアレウイルス関連の記事第二弾。
みんな、ちゃんと家に篭ってる?
お兄さんは仕事と仕事と仕事の時以外は出来るだけ家にいるよ〜。
しかし、周りを見るとそうでもない人がチラホラと…。
まあ実際、具合が悪い人は家から出れないだろうし、なんで健康なのに家にいなきゃいけないの?と思うかもしれないね。
でもそれにはちゃんと理由がある。
外出自粛の肝にあるのは『貴方に感染させない為』ではなく、『貴方から他の人に感染させない為』だからだ。
要は自宅待機で守れる人命はその家にいる人間の人数ではなく、その人達が接する人の総数になる。
だから外出自粛は大事だという話。
いやいや、だから自分は健康だって。
そう言いたくなるよね。
では今日はそんな考えで勝手に行動し続けた結果、恐ろしい病気を一人で51人にも感染させて死者まで出した『腸チフスのメアリー』ことメアリー・マローンについて勉強していこう。
メアリー・マローンさんは1869年生まれの、至って普通の女性だった。
14歳の頃、使用人として働き始めたメアリーは料理の才能に目覚め、周囲の人達からもその腕と人柄を認められ、1900年頃には評判の良い使用人としてちょっとした有名人になっていた。
そんな頃、メアリーのいたニューヨークでは腸チフスという恐ろしい病気が流行していた。
腸チフスとは、サルモネラ菌の一種であるチフス菌という菌に感染することで発症する病気で、症状としては腹痛、下痢、そして高熱を引き起こし、適切な治療を施さなければ死に至る病気。
今でこそ治療法が確立され死亡するほどの重篤化はしないものの、この当時はろくな治療法もなく、また感染経路についてもわかっていなかった。
そんな恐ろしい病気、腸チフスがとうとうメアリーの周りでも流行り始めた。
彼女の務め先である富豪の家族達が腸チフスに罹ってしまったのだ。
メアリーは病気に苦しむ雇い主を懸命に看護するも、雇い主は死去。
メアリーは悲しみを胸に次の職場である雇い主の家へと赴いた。
しかしそんなメアリーに病気は容赦なく牙を剥く。
雇い主やその家族、果ては同じ家に奉仕している同僚までもが、次々と腸チフスに罹ってしまう。
この時のメアリーの苦しみはどれほどだったであろうか。
大切な人達が病気に苦しむ様を、彼女は横で見ているしかなかった。
そんな折、一人の男性がメアリーの元へやってくる。
彼の名前はジョージ・ソーパー。
群発する腸チフス患者達の感染経路を調べる為に捜査をしていた衛生士だった。
彼は、メアリーが奉仕にやってきた富豪の家で次々と腸チフス感染者が出ていることに疑問を感じ、メアリーが何か関係しているのでは?と睨んでいた。
ジョージは彼女に検便と検尿を要求したが、この申し入れにメアリーは激怒。
『自分は至って健康なのに、なんで見ず知らずの人間にあらぬ疑いをかけられ、あまつさえ糞尿を渡さないといけないのか!』とジョージを追い返してしまう。
しかしそれでもメアリーが怪しいと確信していたジョージはしつこく食い下がり、ニューヨーク市の衛生局や医師の協力を取り付け彼女の説得を試みるが、メアリーは断固として拒否。
この時の彼女の暴れっぷりは凄まじかったらしく、結局メアリーは警官に取り押さえられる形で身柄を確保されてしまう。
衛生局によって検査を受けた彼女の結果は陽性。
なんと、メアリーは腸チフスだったのだ。
しかしここで疑問が生まれる。
メアリーは至って健康であった。
腸チフスの症状は一切無く、発熱はおろか下痢や腹痛もない。
それこそが最大の問題だったのだ。
そう、メアリーは無症状キャリア。
所謂『健康保菌者』だった。
当然、そんな単語も概念もこの時代に存在するはずがなく、医師達も首を斜めにするしかなかった。
しかし、一番この結果に納得しなかったのは当のメアリー本人。
メアリーは決して学が無いわけではなかった。
しかし、そんな彼女でも「症状の出ない病気患者」なんてものは到底信じれるものではなく(そもそもこの時の医師達も半信半疑であった。)、自分は不当な扱いを受けている!と激昂するのも仕方がなかった。
だが、検査の結果が陽性である以上、彼女をこのままにしておく訳にはいかない。
彼女は隔離用の島へ連れて行かれ、そこで継続的な検査を受け続けることになる。
衛生局は一年以上に渡って彼女の便から菌が出続けていることを訴えたが、彼女は全く信用せず、隔離から二年が経った1909年にとうとう彼女は衛生局を相手に訴訟を起こす。
結局訴訟は衛生局側の勝訴で終わったものの、この判決がきっかけとなりメアリーは制限付きの解放を受ける。
その制限というのが『食品関係の職に付かない』、『定期的に居所を報告する』というものだった。
そんなこんなで解放されたメアリー。
しばらくは言いつけ通りに過ごしていたが、その後いきなり消息を断つ。
慌てて彼女を捜索する衛生局だが、再び腸チフスが流行り始めた場所を探すと彼女はアッサリ見つかった。
なんと偽名を使い、ニューヨークの産婦人科で働いていたのだ。
結局、彼女の行動でこの病院でも25人の感染者を出し、彼女は再び隔離島に送られ、その後二度と生きて島から出ることはなかった。
彼女の死後、解剖されたメアリーの体から無症状キャリアとしてのカラクリが分かり(説明するとwikiの丸写しになるので割愛)、恐らくは彼女がトイレの後にしっかりと手洗いをしないまま料理を作り、その料理を経由して感染が広がっていたことが判明した。
『腸チフスのメアリー』と呼ばれる彼女の人生は、公衆衛生の大切さや人権問題を語る上で重要なエピソードとして語り継がれている。
しかし、昨今のニュースで「無症状患者」というワードを聞いて彼女のことを思い出す人は、一体どれほどいるだろうか。
彼女の教訓は、果たしてしっかりと今の世代に伝えられているのだろうか。
そんなことを感じて、今回は彼女の記事を書きました。
少しでも彼女の人生が多くの人に伝わり、活動自粛や多くの人の外出自粛への理解に繋がれば幸いです。
最後に、僕たちはメアリーじゃありません。
たとえ無症状患者だったとしても、彼女のように島に送られて一生をベッドの上で過ごすことにはなりません。
でも、誰もがメアリーになる可能性を持っていることも事実なんです。
この流れがいつまで続くかはわかりません。
でも絶対に終わります。
腸チフスは昔こそ恐ろしい病気でしたが、現代では治療法も確立され、ほとんど根絶された病気です。
次もきっと同じです。
あともう少しだけ、彼女のことを思いながら家の中で過ごしてみてはどうでしょう。
今回はこれで終わり。
ではまた。