境界戦機を見ろ!
その日、僕はワクチンの3回目を接種した。
噂に聞く3回目の副反応。
とりあえず食い物を買い込んで家に帰ったものの、熱は出るだろうし、ほぼ寝るだけの休みになるなぁ…何かこういう時にしか出来ないことないかな…と考えていた時。
『そうだ、境界戦機見よう!』
最悪の考えが頭を過ぎる。
境界戦機。
2021年に放送されたこのアニメ、色んな意味で話題になっていた。
賛否両論、どちらかと言うと否よりな意見が多い印象のアニメで、プライムビデオのレビューも迫真の星2.4という輝かしいスコアを叩き出している。
知り合いからも「見ない方がいいです」と太鼓判を押されていたのでずっと気になっていた。
しかし、正直この評価のアニメを平時に見るのはちょっと……。
なら、どちらにせよ寝たきりになる今こそチャンスなのでは?という訳だ。
曰く「見てると頭痛がしてくる」アニメということで、副反応でどちらにせよ頭痛がするなら丁度いい。
僕は意気揚々とバンダイチャンネルの再生リストを広げた。
なぁに、もしかすると普通に面白いかもしれない。
プライムビデオのレビュー欄は少々荒れていたが、所詮ガンプラを買えない腹いせをぶつけているだけの連中だろう……。
しかして、だがそこに待っていたのは、
地獄だった。
第一話「起動」
・冒頭、主人公の語りで物語の舞台である、今の日本の現状が語られる。
なんでも、なんやかんや色々あって日本は色んな国に分割統治されているらしい。
ちなみに、なんやかんや色々とは、なんやかんや色々である。本当にそう語られるのである。
(経済政策の失敗とからしい)
主人公がその辺をざっくりとしか語ってくれず、以降説明が無いので、まぁ…そこは大して重要じゃないのだろう。(本当か???)
主人公のアモウくんは機械弄りが好きらしく、その昔あった境界戦なる大きな戦いでのロボットの残骸を漁っては持ち帰る犯罪スレスレの行為を繰り返していた。
道中、統治下ということでアモウ君含め虐げられる日本人達の描写が入る。
「生きてく意味ってあるのかな」と無気力気味なアモウ君。まぁきっと色々大変よね……食糧とかきっとギリギリなんだろうし………
って良い生活してんなオイ。
えっ…めっちゃ良い部屋住んでんじゃん…。
なんか歯ブラシ消毒する機械?みたいなのもあるし、かなり生活水準が高く見える…。
というかアモウ君、実は両親が既に他界しているのだが余程蓄えのある両親だったらしく、現在は両親の遺産と奨学金で生活しているそう。
しょ、奨学金……出るんだ、統治下の日本……。
そんな感じで割と虐げられている感は無いが、モシャモシャ飯食いながら「希望ってなに?」とか思っちゃうイマドキ少年のアモウくん、実はとある秘密が。
なんと、近所の山でこっそりロボットを組み立てていたのだ!
なるほど、それでジャンク漁りをしてたんだ〰︎納得納得〰︎。
…えっ、近所の山?
そう、劇中描写を見る限りアモウ君はこの山の廃工場へ徒歩で来ており(車があればなぁ…と愚痴っているのでほぼ間違いない)、リュック一つで来ているのでかなり近所であることがわかる。
ちなみに、アモウ君はこの山の入り口あたりで軍人に職質されており、周辺は軍もしっかりパトロールしているようだ…。
ちなみにロボットは組み立て途中で放置されていて、機材とか諸々は全然使える状態だったぞ!
入り口のナンバーキーは開くまで番号ポチポチ入力し続けた!
まず、軍人にぶつかっただけで因縁つけられてテキトーな理由でテロリストにされる世界で何を呑気にロボット作ってるんだよコイツ!?
やってることガチのテロ等準備罪じゃねーか!!!
民家からロケットランチャーが出てくる福岡の方がまだマシだよ!
これじゃあ、本当にただバイク直してただけだったアモウの仲間が可哀想過ぎるよ…。
しかも近所の山って…。
なんで軍はココ見つけられないんだよ!?
出世したいなら、子供職質する前に山奥の廃工場とかいう怪しさしかない場所をしっかり探せよ!!!
しかも歩いていけるから大した山奥でもねーし!
てか廃工場って言ってんのに電気は来てるし設備もそのまま使えるの!?
なんで入力ミスったらロック掛からないの!?
セキュリティ甘すぎだろ!
(このセキュリティの甘さに関しては、後々の展開で更にモヤモヤします)
てか冒頭のジャンク漁りといい、犯罪行為犯し過ぎじゃないですかねこの主人公。
廃工場に関しては完全に建造物侵入だし、ロボットはほぼ窃盗やろ…。
なんか厨二っぽい無気力な発言の内容もあって、全然主人公への好感度が上がっていかない……。
そんなこんなで主人公がガチモンの反社モドキだったり、軍が能無しなこととか色々判明した訳だが、物語は自立思考型AI「ガイ」をアモウ君が山で拾ったことから動き出す。
(なんで山に落ちてたの?とかそういうのはきっと後で説明してくれるだろ、多分。きっと)
どうやらガイはめちゃくちゃ優秀で、アモウ君が組み立てていたロボット「ケンブ」を本人に無許可で勝手に完成させた上、ちょうどタイミング良くアモウ君の諸行がお上の知るところとなった結果、ピンチのアモウ君はガイの手引きもあり例の廃工場へ逃げることに。
「改めて見るとホントにデケェ工場だなオイ!」と心の中の小峠がツッコんでしまう中、絶対絶滅のアモウ君とガイ。
そしてとうとう軍が廃工場に到着。
ギリギリじゃなくてもアウトな犯罪行為をしていたアモウ君に巻き込まれ、冒頭一緒にいたジャンク漁りの仲間達が人質にされてしまっている。
軍人は「お前をテロ等準備罪及び共謀罪の容疑で拘束する!」と正にその通りな罪状でアモウ君を揺さぶる。
(ジャンク漁り仲間は「俺達はテロリストじゃない!」とアモウ君を庇うのがまた悲しい。)
どうするアモウ君!?
→こうなったら組み立てたケンブに乗り込んでここを切り抜けるしかない!
(えっ)
てな訳で遂にケンブ、起動!
タイトル回収しましたね。
ガイに焚き付けられたとはいえ、人質取られてる状況でそれで良いのか主人公。
(ケンブ起動のシーンなんかは結構凝ってて良いと思った。少し説明がくどいけど)
(あと、この辺りからガイがめちゃくちゃ喋るようになるんだけど、どうにも耳障りの良い声じゃないというか…。
マスコット的な見た目なのでああいう演技なのだと思うけど、個人的にはもう少し普通に喋って欲しいかな…と。)
どうやらケンブは相当強いらしく、敵のロボットを圧倒。
文字通りちぎっては投げを繰り返す。
にしても人質使わねぇなコイツら…。
「いざとなれば人質が…」とか言ってるけど、もういざという時なのでは?おたくのロボットボコボコにされてるよ???
しかしこの辺の戦闘シーンは、やはり第一話ということもあってなかなかなもの。
敵のロボットのキモい動きだったり、ケンブの力強いアクションは良い感じ。
そんなこんなでケンブは必殺技という名のただのグーパンで敵のロボットを撃破。
そしてアモウ君は、初めて乗ったケンブの衝撃に
興奮していた。
初見時このシーンめっちゃ怖かったよ。
いやまぁ、それまでも「コイツやべーな」とは思ってはいたけれど。
というのも、このシーンのアモウ君の映し方が「ジョーカー」で初めて人を殺した時のアーサーとソックリな描き方に見えたから。
初めて手にする圧倒的暴力。
解放のカタルシス、その余韻に浸る感じは正にアーサーのそれであり、マジでコイツが新しいサンライズロボットアニメの主人公なのか!?と衝撃を受けた。
アーサーには「虐げられていた」という強烈なバックボーンがあったからこそ「暴力」という手段を取った時、視聴者に共感を誘う部分があったが、アモウ君の場合、マジで大して虐げられているシーンが無いまま唐突に圧倒的な力を手にした感があるので、同情出来ないヤベーやつが暴力の味を知ったみたいになってて、爽快感とかよりも先に恐怖が来たのだ。
ガイに「鬱憤が溜まってんだろ!?」とか言われても、3食部屋付き不労収入持ちのどこに不満が…?としかならないんだよね。
ていうか、この辺りもうちょいどうにか出来たのでは…。
例えば、アモウ君があと少しでも辛そうな境遇なら、全然見え方は違ったと思う。
主人公が一話の中で何回飯食うんだよって言うくらいパクパクして寝るか出掛けてるかしかしていないので、本当に日本人は虐げられているのか?ってなっちゃうのよそりゃ。
下手に冒頭でモブ住民とモブ軍人絡ませるより、その後ずっと画面に映る主人公の日常でそれを描いた方が視聴者も感情移入できるはず。
例えば、部屋をもう少し閑散とさせて「配給食」とかでっかく書かれた段ボールを置いておけば、同じ食事シーンでも意味が全然変わってくるじゃないですか。
「日本人は自然分解性の容器が貰えない」とかよくわからん説明セリフ言わせるくらいなら、部屋の中でアモウに「今日は一食抜いておくか…」とか寂しそうに一言言わせた方がよっぽど悲惨な現状を描けると思う。
(てかあのペットボトル見せるシーンは本当に必要性がわからない。空のリュック見せるんじゃダメだったのか?)
テレビを見るシーンだって、アモウ君にチャンネル回す動作をさせてから『指定のチャンネルはご視聴できません』みたいなシーンを入れて、「日本人は日本人専用のチャンネルしか見れない」みたいな演出をするとかさ。
居眠り議員のカットなんか入れて中途半端な風刺する前に、世界観をもっとしっかり描いてくれよ!ってなる。というか分割統治なのに国会は存在してるのもよくわからんし。
てかID管理されている世界でスマホを気軽に使えるのはどうなん?
アモウがポチポチする度にモヤモヤしてましたよ、ったくもう。
……とまぁ、色々思う所は多々あり。
話を戻そう。
撃破された敵の上で、主人公が初めての暴力にカタルシスを感じていると、
唐突に挟まるタイトルカード、そしてED。
マジか。
第一話が終わってしまった。
ちょっ、ちょっと待ってくれ!
話戻したら話終わっちゃったよ!
マジで!?
主人公が暴力に目覚めて一話が終わったぞ!?
え、ホントに!?
攻めすぎだろ境界戦機!
…ま、まぁ中々に衝撃的な第一話だったが、しかし終わってしまったものは仕方ない。
とりあえず次の話を見てみるか…と、僕は呑気に連続再生を掛けた。
そう、何故ならこの時、僕はこう思っていた。
「言うほど悪く無いなぁ」、と。
たしかに、細かいツッコミ所は多々ある。
主人公が全く好感が湧かないヤベーやつだったり、日本分割統治の設定のフワフワ具合、軍人のガバ具合、たまに挟まる中途半端な現代風刺、などなど。
とはいえ、全体的にモノトーンでシリアスな空気はちゃんと伝わるし、視聴年齢層を考えた上で使える描写にも限界があるだろう。
その中で、なんとなくやりたい方向性は伝わってきた。それがわかっただけまだマシに思えた。
この時は。
それが、大いなる間違いであることに、おすてぃは気づいていなかった。
第二話、「船出」。
立ち向かえ、この未来に。
第1.5回 シンエヴァ感想 シンジの髪が伸びない理由
どうもアル中お兄さんです。
前回、「エヴァの呪縛」について書きましたが、シンジの呪縛に関して少し考え方が変わったので書き留めておこうと思い、2回目の感想と分けて記事にしました。
・シンジの髪が伸びない理由
エヴァの呪縛に囚われた者の外見は一切変化しないが、唯一髪だけは伸びる。
これに関してマリは、
「髪には人のカオスが宿る。だから伸びるし、それは人である証拠」
というようなことを話していた。
しかしそう考えると、シンジの髪が伸びていないことが疑問になる。
シンジは14年間初号機の中で眠っていた訳で、本来なら相当な長髪になっているはず。
最初このことを考えた時に、「シンジはサルベージされた直後だから伸びていないのでは?」と思っていたが、それはおかしい。
何故なら初号機の中にいたポカ波の髪はしっかり伸びていたからだ。
例えエヴァの中で眠っていたとしてもパイロットの髪が伸びるなら、サルベージされたシンジも髪は長いままのはず。
(ましてやサルベージされたシンジの髪を、意識がないうちにヴィレスタッフが切ってあげたとも思えないし。マリならノリノリで切りそうだが。というか、ヴィレのスタッフが刃物を持ってシンジに近づくことをミサトさんが許すとも思えない)
ではシンジに「エヴァの呪縛」はかかっていないのか?しかしそうなるとどうしてシンジの姿は14年前から変わらないのか。
そこを考える時に、いくつかヒントになるセリフがある。
一つ目はアスカの「リリンもどき」というワード。
どうもアスカが言うには、シンジは「リリンもどき」と言う状態らしい。
劇中でリリンもどきという物に対してしっかりとした説明はされていないが、アスカの話や劇中の描写を見る限り、食事が必要だったり眠ることも出来るが、L結界密度の高い場所でも普通に活動できるらしい。
リリンとは勿論、人間のこと。
それの「もどき」なのだから、似て非なる存在なのだろう。
アスカの話しぶりだと、どうもエヴァの呪縛における過渡期のような状態らしい。
しかし、本当にそうだろうか。
もしアスカが言うように、今のシンジがエヴァの呪縛における初期段階だとするなら、アスカと同じくエヴァパイロットになって14年経っているのに症状に分岐が起きていることになる。
エヴァに乗っている回数や期間の問題か?となればますますおかしい。
アスカは14年間戦いっぱなしだったとは言え、常にエヴァに乗っていた訳ではない。
しかしシンジは14年間、本当にエヴァに乗りっぱなしだったのだ。むしろアスカより呪縛の症状は強く出ていないとおかしい。
では何故…。
他にもヒントになるセリフはある。
シンエヴァ終盤、ゲンドウのセリフで「ここにいたのか、ユイ」とシンジを抱きしめるシーンがある。
初見時、これはゲンドウもユイの死を受け入れることで、シンジの中のユイの面影や思い出を受け止めることが出来たシーンなのだと解釈していた。
(映画でよくある良いシーンですよね)
しかし、その後にシンジがユイと対面した時に気になる言い回しをしていた。
「このために母さんはずっと僕の中にいたんだね」
シンジ自身が、「ユイは自分の中にいた」と認識していたのだ。
ここで?マークが浮かぶ。
ユイが取り込まれていたのは初号機の中だ。
実際、ゲンドウは最後にユイと会う為にヴンダーから初号機を回収している。ゲンドウも、ユイの魂の所在は初号機にあると認識しているのだ。
しかしシンジの言い方では、本当にユイは自分の中に居たことになっている。
更にシーンは遡り、ゲンドウが補完が進む心象世界でユイを探すシーン。ゲンドウがどれだけ探しても、ユイは見つからない。しかし、代わりにそこにはシンジがいた。
「どうしてここにシンジがいる?」とゲンドウ自身も疑問にしていた通り、ゲンドウは初号機の中のユイを探していたのに、そこにはシンジがいたのだ。
これはどういう状態なのか。
ユイは初号機ではなくシンジの中に居て、初号機の中にはユイではなくシンジがいる。
騙し絵のような構図になってきた。
状況を整理しよう。
・シンジは人間ではなく、それに似た別の存在。
・ユイはシンジの中に居た。
・ゲンドウがユイを探して行き着いたのがシンジだった。
これだけではさっぱりわからない。
しかし、ここで重要なヒントが出てくる。
シンジと初号機のシンクロ率は無限大だったということ。
シンクロ率が無限大とは、どういうことだろう?
シンクロとは同期する、同調するといった意味の言葉だ。シンクロ率が高ければ高いほど、パイロットとエヴァが一つになっていると言える。それが無限大ということはどういう状態か。
そう、初号機とシンジはイコールの存在。
シンジ=初号機なのだ。
そう考えれば先程のゲンドウとシンジのセリフも合点が行く。
シンジと初号機が同一の存在なら、ユイはシンジ(初号機)の中に居るし、初号機(シンジ)の中にユイが居たと言える。
では、シンジの見た目が変わらない理由は?
それに付いては、先程のシンクロ率が答えになる。
リツコさんはシンジのシンクロ率が無限大であるということを、わざわざ「インフィニティ」と呼んでいた。
エヴァで「インフィニティ」…?
確かそんな名前のものが劇中で登場していたはず。
そう、エヴァインフィニティである。
ゼーレが目指した真のエヴァンゲリオン。
人がその肉体を捨て、知恵の実と生命の実の両方を持った神に等しき存在。
エヴァインフィニティの正体とは、シンクロ率が無限大となった人とエヴァの融合体だったのだ。
つまりシンジ=初号機は、劇中に登場した最初のエヴァインフィニティだった。
いや、オリジナルのエヴァインフィニティと言うべきか。
この説を補強するように、式波ロットのオリジナルはこのようなことを話していた。
「最後のエヴァは神と同じ姿」と。
最後のエヴァとは、第13号機のことだろう。
(マリが8号機を最後のエヴァと呼んだのは、あくまで結果的にそうなったからだと考える)
どうも神とは、第13号機と同じ姿らしい。
そう、第13号機と同じ姿をしているのは劇中で初号機のみであり、それが神の姿なら初号機とシンジこそ神=エヴァインフィニティとなるのである。
ニアサードによってガフの扉を開いた初号機とシンジは、シンクロ率無限大=エヴァインフィニティという一つの生命体になってしまっており、その段階から神に等しい存在になっていた。
サルベージされたシンジは言うなれば幽体離脱のような状態であり、本来の肉体(初号機)から切り離された存在なので食事や睡眠が必要であるが、シンジ自体が神に等しい存在であることに変わりはないので、人の原罪無き穢れの無い世界=L結界濃度の高い空間でも平気、という訳である。
そこでマリのセリフを思い出そう。
「髪には人のカオスが宿る。だから伸びるし、それは人である証拠」
人では無くなったシンジには、人の持つカオスが無い→だから髪は伸びない。
思えば、劇中で髪型の変化しないチルドレンが他にもいた。
カヲルとマリだ。
この二人は描写がないだけで散髪していると思えばそれまでだが、実際に14年前から髪型に変化がなく、その理由も言及されていないのはチルドレンでこの二人だけである。
そしてこの二人の共通点、それはどちらも使徒であること。
(この辺は前回の考察参照)
使徒は生命の実を待つ、人ではない存在。
故に人ではないので人のカオスの宿る髪は伸びない、という理論が成り立つ。
以上のことから、シンジは髪が伸びないのである。
まとめ
・シンジはニアサード以降、神に等しい存在=エヴァインフィニティとなった為、人の象徴である髪は伸びなくなった。
ということで、シンジの髪が伸びない理由を個人的に考えてみました。
個人的には、ANIMAみたいに長髪シンジとマリの絡みが見たかったので、最後のシーンは長髪シンジくんにして欲しかったな…と。
では、次回こそ本当に第二回考察にします。
ではまた。
第一回シンエヴァ考察・感想 (ネタバレ注意)
・エヴァが終わった
感想としてはこれに尽きる。
多分これ以上は無い形だったし、「Q」の時のような「もう一度見直すのは辛い」とは逆に「もう一度見たい」と思える内容だった。
近い内にもう一度見に行く予定。
というかやっぱエヴァは複数回見ないとダメですわ。考察とか関係なしに。
そういう点でも前回の「Q」はしんどかった。
ありがたいことにエヴァとは思えないくらい色々説明してくれていた。
まぁコレで終わらせるというなら必要だよなぁ…。
嬉しかったのは旧劇やTV版のこともちゃんと拾ってくれていたこと。ゲンドウの台詞から察するに、やはり新劇は旧劇からの続きであり、ループ説は正しかった。
(トウジが『先生』と呼ばれているってトコロであーっ!となった人沢山いそう)
この後も何回か見に行く予定。
今回は1回目視聴で自分の中で腑に落ちた部分を書き殴ってみました。
↑これはこんなに綺麗に終わると思っていなくて情緒不安定になるカロッゾ・ロナ
以下、細かい感想及び考察。
・『エヴァの呪縛』
長い時間を掛けてファンや制作サイドが生み出していった「設定」にキャラが囚われていることだった。
これは、エヴァというコンテンツが続く限り解けない。
「見た目が変わらない」
「綾波型は第三の少年を好きになるように作られている」
→制作側の設定や、ファンの生み出したカップリングの隠喩
綾波に限らず、アスカやカヲルもシンジを好きになるように作られている?
新劇でアスカの名前が変わった理由が、今回「式波型」というワードがでてきたことで、アスカも作られた存在であったことで判明。
綾波型がそうなら、アスカのシンジへの好意も作られたものの可能性アリ。
(前述のファン意識や制作側の意図のことを"エヴァの呪縛"と呼んでいるなら、むしろそう考えた方が自然)
冬月は「運命を仕組まれた子供達」と話しているので、綾波型だけがそうであると考えるより、他のチルドレンも同じなのではないか?
(そう考えると、アスカの『好きだった』発言も意味合いが変わってくる。ヴィレに身を置き自身の出自も理解したアスカが、シンジへの好意が意図的に作られたものだと知ったからこその過去形なのか。今でもシンジへの想いはあるが、それが作られたものだと理解しつつ、それでもシンジを好きな自分を偽りたくないから『好きだった』だと考えると、かなり切ない。)
最後、アスカ達のエヴァの呪縛はシンジの手によって、「自分のことを好きにならなくても良い」「別の誰かとの可能性、縁」としてそれぞれのチルドレンへ与えられることで解かれる。
主人公を好きにならない=ヒロインではなくなる。
物語の軸から外れることで、アスカ・レイ・カヲルはエヴァンゲリオンという物語の呪縛から解かれることになった。
(ラストシーン、三人がシンジとは違うホームで電車を待っているのは、既にシンジとは違う世界にいることを表している。シンジは電車には乗らず、あの世界で生きていくが、三人は電車に乗ってそれぞれ違う未来へ向かうのか…)
シンジに関してはカヲルに言われていた通り、現実の中で大人への成長を果たしたことで呪縛から解かれる。
シンジが成長したことで物語は前に進み、最終的にエンディングを迎えることになる。
そしてシンジは「エヴァの存在しない世界」、新世紀(ネオンジェネシス)世界を創造することで、シンジ自身の呪縛も解いた。
しかし、エヴァの存在しない新世紀世界では「エヴァンゲリオンの主人公」であるシンジには居場所がない。
シンジの作中における繋がりは皆エヴァがあったから出来た縁であり、唯一の血の繋がりである肉親のユイとゲンドウは全てのエヴァンゲリオンと共に旧世紀(エヴァの世界)に消えてしまった。
(このことから、新世紀の世界ではユイとゲンドウは存在しないものと考えられる)
アスカ達にはシンジが与えた可能性があるが、シンジ自身にはそれがない。
新世紀の世界でシンジが居場所を得るには、呪縛に囚われていない誰かとの縁が必要だった。
・『イスカリオテのマリア』
イスカリオテ=イスカリオテのユダ。裏切り者の代名詞であり、12使徒から外された存在。
マリア=マグダラのマリア。イエスの復活を最初に目撃した人物であり、その伴侶とも言われている。使徒の中の使徒と呼ばれ、数字を持たない使徒である。アスカの「アイツに必要なのは母親」の発言も踏まえると、聖母マリアも含まれてる?
マリは人間側に寝返った使徒=アダムス。
アダムスは、かつて人類の前に知恵の実を食して使徒との戦いに勝ち、使徒に成り変わった異星人(第一始祖民族)
↑多分一番わかりやすい考察動画。
以降はこの考察に沿って書いていく。
アダムスの勢力として、まず大部分は四隻の方舟の中で眠りに着いた生命の実を食した者達=使徒と、そしてそれを拒んで知恵を捨てずに第三の選択肢を探そうとした者達=ゼーレに分かれる。
(完全な憶測ではあるが、四隻ある方舟の内、シンエヴァの段階でヴンダーには地球の生命が加持さんによって載せられていたので、それ以前に載っていたはずのアダムス達が行方不明になっている。
もしかすると、元々ヴンダーに載っていたアダムス達こそセカンドインパクト時の四体の巨人や、劇中に登場した使徒、カヲルやマリだったのかもしれない。)
ゼーレは生命の実を拒んだ者達であり、定命の存在である。(人間と同じ)
ゲンドウ「悠久の時を生きながらえても、訪れる死からは逃れられない」
マリはアダムスの中でも前者、生命の実を受け入れ知恵を捨てた存在。本来なら方舟の中で眠り続けていたはずだが、なんらかの理由で目覚めた。
(ゼーレに覚醒させられたのか、自身で眠ることを辞めたのかは不明)
その為に不死の存在であり、容姿が変わらないのはエヴァの呪縛ではなくこの為。
作中で本を読み漁っているのは、失った知恵を求めているから。
("知恵を捨てる"という状態がイマイチわからないが、予想としては"忘れていくこと"なのではないか?生命の実によって永遠を生きる結果、痴呆症の末期患者のように知識は消えていき、いずれは自分が何者であるかすら忘れてしまう。だから最初から知恵を捨て眠りに着こうとアダムス達は考えたのではないか?そうするとマリにとって本は外部記憶装置であり、日々増えていく記憶の容量を考えるとあの蔵書量も納得である)
ラストシーン、DSSチョーカーを外せたのも使徒である証拠。
(同様の方法でチョーカーを外せたのは同じく使徒であるカヲルだけ)
(但し、新世紀世界ではマリの容姿が成長していることから、既に使徒の権能は失われているはずなのに、何故チョーカーを外せたのかは不明。というかなんで新世紀世界にまでチョーカーが付いてきてるのかも不明。恐らく演出的な部分が大きいシーン?)
なので、マリはエヴァパイロットであるがエヴァの呪縛には囚われていないことになる。
そして理由は不明だが、マリは使徒でありながらゼーレの側に付き、協力することに。
(ゼーレのメンバーだったユイに好意があったから?)
(使徒=天使だとすると、マリには堕天使の側面もあると言える。最初の堕天使と言えばルシファー、ルシファーといえばサタンである。新劇ゼーレのマークに描かれた林檎と蛇。林檎は言わずもがな知恵の実を表し、蛇はイブを唆したサタンの化身である。これは、知恵を捨てなかったゼーレと、使徒を裏切ったマリの両方を示唆するシンボルだったのではないか。)
(シンジが救世主=キリストならば、サタンとキリストにも有名なエピソードがある。『誘惑を受けるキリスト』と呼ばれる話で、サタンが何度もキリストを試すようなことを話し、最後には『世界のあらゆる権力と繁栄を与える』と言われ、キリストがその誘惑を断るというお話。劇中でマリは幾度となくシンジに言葉を投げかけます。そして、最後にはシンジに『世界の命運を選ぶ権利』を託す訳です。結果的に旧世紀の世界を滅ぼした悪魔とも取れる…?キリストはサタンを突き放しましたが、最終的にシンジはマリの手を取ったことだけは事実です)
このことから、ゼーレの初期メンバーはモノリス組+ユイ+マリ+αだったと思われる。
(ユイの正体がアダムスだったことから、アダムスは人間と限りなく酷似しており、普通に歳を取り死ぬ?人間との間に子供も作れるので、アダムスと人間=リリンはかなり近い生命体だと思われる。)
その後ユイが初号機に取り込まれた時期を境に、マリはゼーレ(とゲンドウ)の下から去り、独自の行動を開始。最終的にシンエヴァでの冬月との再会で『イスカリオテのマリア』と再び呼ばれることに。
(ネットで言われているように、もしヴィレに付いたからイスカリオテと呼ばれているなら、『懐かしい名前』とはならないはず。このあだ名は冬月の元でユイやゲンドウと過ごしていた頃のあだ名であり、そう考えるならば冬月達の下へ来る前に『何かを』裏切っていなければ意味が通じない。それが同胞であるアダムス=使徒であり、裏切り者の使徒=イスカリオテとなる)
以上のことから、裏切り者の使徒なので『イスカリオテ』と呼ばれていた。
恐らくマリの目的は最初からシンジであり、それはユイ(そして多分冬月も)がマリに託したことだった。
(ユイは新世界創造後にシンジがエヴァと共に消える身代わりになる為に初号機に残っていたので、最初からゼーレやゲンドウのシナリオを予測していたと考えられる。というか、ユイの目的こそ、シンジを中心とした新世界の創造だった?)
ユイの計画の最初期段階からマリにシンジのことを託していたとしたら、救世主の側にいる者として「マリア」のあだ名で呼ばれていたのかもしれない。
(このあだ名をゲンドウも使っていたかどうか定かではないが、少なくとも『マリア』の部分の意味については冬月とユイしか知らなかったのではないか)
『聖母』としてのマリアの要素を考えるなら、旧劇の砂場シーンが今回対比になっていると思う。
砂場遊びのシーンで他の子供(人形?)達は親が迎えに来てくれるが、シンジには迎えに来てくれる親がいなかった。
しかし、今回はマリが迎えに来てくれた。旧劇の頃から待っていたお迎えが、やっとシンジにも来てくれたのだ。「親の迎え」を待っていたシンジの元にやって来たのがマリならば、シンジの求めていた要素を持っていた…とも言えるのではないか?
しかしユイの頼みとはいえ、シンジの居場所となることにマリの意思がどれほど含まれているかはハッキリしない。が、新世紀世界での二人を見るにまんざらでもなさそう。
(シンエヴァでマリは「LCLの匂い」ではなく「ちょっと大人になったシンジの匂い」を良い匂いと言っていたので、エヴァに乗るシンジ=エヴァ主人公のシンジではなく、シンジそのものに好意を寄せる存在だと言えるので、特別な感情はあると思われる)
新世紀世界ではエヴァやその関連する存在である使徒やアダムス達も存在しない。本来ならアダムスのハーフであるシンジも、アダムス自体であるマリも存在することが出来なかった。二人がお互いの縁となり居場所を与え合うことで新世紀世界に行けた?
(この辺、正直まだハッキリしません。シンジは他のチルドレン達に行ったようにマリに可能性を与えて新世紀世界に導くことはできるかもしれないけど、そうなるとマリがシンジに可能性を与えたってことになるのかな?オーバーラッピング8号機の機能がイマイチ不明なので、多分その力なのか…)
個人的にマリが登場した時から「シンジとくっつくとしたらマリなのでは」と予想していたが、何故そうなるのかがわからなかった。
(屋上でぶつかるのは旧劇でパン加えた綾波とぶつかるシーンのセルフオマージュだとか色々考えた思い出)
今回、その理由がわかったような気もするが、重要な場面で交流していたとは言えマリとシンジの絡みがもう少し欲しかったかな…と。
勿論、ミスリードの為に意図的に限定した絡みだけを残したとも思うが。
マリがシンジに想いを寄せる理由が薄いというか…ここまで自分の考えを見ると、マリがシンジを利用しているだけのようにも見えるし、マリはあくまでユイとの約束を果たしただけでシンジを見ていないようにも映る。
きっと俺が何か重要な部分を見逃しているだけだと思いたい。シンマリの供給が足りない。
(画像は新世界を作り出した二人のイメージ)
とはいえ、新世紀世界でシンジとマリは掛け替えのない記憶を唯一共有し合える関係であり、それは間違いなく信頼の証になり得るだろう。
マリの願いを叶えてアスカを助けたのはシンジだし、シンジを最後に迎えに来てくれたのはマリ。
その思い出は決して消えない訳で。
余談だが、思い出が掛け替えの無い信頼の証となる展開で、アル中お兄さんはラーゼフォンの劇場版を思い出したよ。ラーゼフォンも又、エヴァの影響を多大に受けた作品。何か感慨深いところがあるね。
マリが出た当初、「マキナ身だから真希波!機械の体!」とか騒がれてて、えぇ…?となった思い出があるが、今思うとシンジ一人では畳めなくなったエヴァという物語を畳む為にやってきた舞台装置=デウスエクスマキナ→真希波だったのかな、と。
(オーバーラッピング機能も、複数の役を兼ねて立ち回るということを考えると舞台装置と言えるかな)
二人いれば良いことがあるってそういう…。
以上の理由で、マリとシンジがくっつくのは良いエンディングだったと思います。
(大勢のLAS派やらLRS派やらの悲鳴は聞こえるが)
(ケンケンだって良い男やで)
とりあえず第一回はこんなところ。
一回見た段階での感想や考察を残しておきたいので、とりあえずこの辺で筆を止めておく。
次回は他のキャラクターや今回触れなかった部分について書いていくよ。
今こそ知っておきたい『腸チフスのメアリー』
すていほーーーーーーーーむ!
どうも、アル中お兄さんです。
今回は例のアレウイルス関連の記事第二弾。
みんな、ちゃんと家に篭ってる?
お兄さんは仕事と仕事と仕事の時以外は出来るだけ家にいるよ〜。
しかし、周りを見るとそうでもない人がチラホラと…。
まあ実際、具合が悪い人は家から出れないだろうし、なんで健康なのに家にいなきゃいけないの?と思うかもしれないね。
でもそれにはちゃんと理由がある。
外出自粛の肝にあるのは『貴方に感染させない為』ではなく、『貴方から他の人に感染させない為』だからだ。
要は自宅待機で守れる人命はその家にいる人間の人数ではなく、その人達が接する人の総数になる。
だから外出自粛は大事だという話。
いやいや、だから自分は健康だって。
そう言いたくなるよね。
では今日はそんな考えで勝手に行動し続けた結果、恐ろしい病気を一人で51人にも感染させて死者まで出した『腸チフスのメアリー』ことメアリー・マローンについて勉強していこう。
メアリー・マローンさんは1869年生まれの、至って普通の女性だった。
14歳の頃、使用人として働き始めたメアリーは料理の才能に目覚め、周囲の人達からもその腕と人柄を認められ、1900年頃には評判の良い使用人としてちょっとした有名人になっていた。
そんな頃、メアリーのいたニューヨークでは腸チフスという恐ろしい病気が流行していた。
腸チフスとは、サルモネラ菌の一種であるチフス菌という菌に感染することで発症する病気で、症状としては腹痛、下痢、そして高熱を引き起こし、適切な治療を施さなければ死に至る病気。
今でこそ治療法が確立され死亡するほどの重篤化はしないものの、この当時はろくな治療法もなく、また感染経路についてもわかっていなかった。
そんな恐ろしい病気、腸チフスがとうとうメアリーの周りでも流行り始めた。
彼女の務め先である富豪の家族達が腸チフスに罹ってしまったのだ。
メアリーは病気に苦しむ雇い主を懸命に看護するも、雇い主は死去。
メアリーは悲しみを胸に次の職場である雇い主の家へと赴いた。
しかしそんなメアリーに病気は容赦なく牙を剥く。
雇い主やその家族、果ては同じ家に奉仕している同僚までもが、次々と腸チフスに罹ってしまう。
この時のメアリーの苦しみはどれほどだったであろうか。
大切な人達が病気に苦しむ様を、彼女は横で見ているしかなかった。
そんな折、一人の男性がメアリーの元へやってくる。
彼の名前はジョージ・ソーパー。
群発する腸チフス患者達の感染経路を調べる為に捜査をしていた衛生士だった。
彼は、メアリーが奉仕にやってきた富豪の家で次々と腸チフス感染者が出ていることに疑問を感じ、メアリーが何か関係しているのでは?と睨んでいた。
ジョージは彼女に検便と検尿を要求したが、この申し入れにメアリーは激怒。
『自分は至って健康なのに、なんで見ず知らずの人間にあらぬ疑いをかけられ、あまつさえ糞尿を渡さないといけないのか!』とジョージを追い返してしまう。
しかしそれでもメアリーが怪しいと確信していたジョージはしつこく食い下がり、ニューヨーク市の衛生局や医師の協力を取り付け彼女の説得を試みるが、メアリーは断固として拒否。
この時の彼女の暴れっぷりは凄まじかったらしく、結局メアリーは警官に取り押さえられる形で身柄を確保されてしまう。
衛生局によって検査を受けた彼女の結果は陽性。
なんと、メアリーは腸チフスだったのだ。
しかしここで疑問が生まれる。
メアリーは至って健康であった。
腸チフスの症状は一切無く、発熱はおろか下痢や腹痛もない。
それこそが最大の問題だったのだ。
そう、メアリーは無症状キャリア。
所謂『健康保菌者』だった。
当然、そんな単語も概念もこの時代に存在するはずがなく、医師達も首を斜めにするしかなかった。
しかし、一番この結果に納得しなかったのは当のメアリー本人。
メアリーは決して学が無いわけではなかった。
しかし、そんな彼女でも「症状の出ない病気患者」なんてものは到底信じれるものではなく(そもそもこの時の医師達も半信半疑であった。)、自分は不当な扱いを受けている!と激昂するのも仕方がなかった。
だが、検査の結果が陽性である以上、彼女をこのままにしておく訳にはいかない。
彼女は隔離用の島へ連れて行かれ、そこで継続的な検査を受け続けることになる。
衛生局は一年以上に渡って彼女の便から菌が出続けていることを訴えたが、彼女は全く信用せず、隔離から二年が経った1909年にとうとう彼女は衛生局を相手に訴訟を起こす。
結局訴訟は衛生局側の勝訴で終わったものの、この判決がきっかけとなりメアリーは制限付きの解放を受ける。
その制限というのが『食品関係の職に付かない』、『定期的に居所を報告する』というものだった。
そんなこんなで解放されたメアリー。
しばらくは言いつけ通りに過ごしていたが、その後いきなり消息を断つ。
慌てて彼女を捜索する衛生局だが、再び腸チフスが流行り始めた場所を探すと彼女はアッサリ見つかった。
なんと偽名を使い、ニューヨークの産婦人科で働いていたのだ。
結局、彼女の行動でこの病院でも25人の感染者を出し、彼女は再び隔離島に送られ、その後二度と生きて島から出ることはなかった。
彼女の死後、解剖されたメアリーの体から無症状キャリアとしてのカラクリが分かり(説明するとwikiの丸写しになるので割愛)、恐らくは彼女がトイレの後にしっかりと手洗いをしないまま料理を作り、その料理を経由して感染が広がっていたことが判明した。
『腸チフスのメアリー』と呼ばれる彼女の人生は、公衆衛生の大切さや人権問題を語る上で重要なエピソードとして語り継がれている。
しかし、昨今のニュースで「無症状患者」というワードを聞いて彼女のことを思い出す人は、一体どれほどいるだろうか。
彼女の教訓は、果たしてしっかりと今の世代に伝えられているのだろうか。
そんなことを感じて、今回は彼女の記事を書きました。
少しでも彼女の人生が多くの人に伝わり、活動自粛や多くの人の外出自粛への理解に繋がれば幸いです。
最後に、僕たちはメアリーじゃありません。
たとえ無症状患者だったとしても、彼女のように島に送られて一生をベッドの上で過ごすことにはなりません。
でも、誰もがメアリーになる可能性を持っていることも事実なんです。
この流れがいつまで続くかはわかりません。
でも絶対に終わります。
腸チフスは昔こそ恐ろしい病気でしたが、現代では治療法も確立され、ほとんど根絶された病気です。
次もきっと同じです。
あともう少しだけ、彼女のことを思いながら家の中で過ごしてみてはどうでしょう。
今回はこれで終わり。
ではまた。
映画『ミッドサマー』感想
はろんぬ、アル中お兄さんだよ。
今回は久しぶりの映画感想だよ。
という訳で見てきたのはコレ。
『ミッドサマー』。
Twitterを中心に何かと話題になっている今作。
「山田と上田が来なかったtrick」なんて言われていて、「どういうことやねん」と思っていたところ、ゴア描写や未公開カットを追加した"完全版"とも言える『ディレクターズカット版』が公開された。
そんなわけで友達に誘われるままホイホイとスウェーデンの秘境、ホルガ村に遊びに行ってしまったわけです。
ではでは、そんな素敵なホルガで行われるお祭りの感想を語っていきます。
※注意
※ここより先は重度のネタバレや個人の考察などが含まれます!
1.生々しい不愉快さを見せる人間関係
・主人公のダニーはパニック障害を抱える、精神的に弱い女子大生。交際して4年になる彼氏のクリスチャンはそんな彼女に冷め切っており、家族を亡くし天涯孤独の身となった彼女へ同情こそすれどもはや愛はない、ただそれだけの付き合いを続けている。
そんな彼女には内緒で、クリスチャンは大学の男友達とスウェーデンへの旅行を計画していることがダニーにバレてしまう。
激昂するダニーは、半ば強引に旅行に同行するが…。
というところから物語はスタートする。
本作の注目点は多くあれど、共通して言えるのは生々しい不愉快さだ。
ダニーを取り巻く周囲の環境、そして人。
その空気感が妙にリアルなのだ。
ダニーは所謂メンヘラというやつで、自分がクリスチャンに依存しているということを自覚しながらも、その関係にすがるしかなく、クリスチャンはクリスチャンで非情になり切れずダラダラと関係を続けている。
シチュエーションの違いはあれど、こういう惰性で関係を保ち続けているカップルは身の回りにも多くいるだろう。
極め付けはダニーが旅行に同行すると言い出した時の友達連中のあの空気。
「男連中でワイワイ楽しくやろうとしてたらなんか一人が彼女連れてきてなんとも言えない微妙な感じになる」あの空気、正にアレである。
おそらく多くの男性に「あるある」と思わせたあの空気感が本当に秀逸だった。
ホルガへ辿り着く前から、『ミッドサマー』は日常に潜む不愉快さを前菜にして物語を進めていく。
この下地の作り方が非情に小気味良く、テンポ良く進むのもあって、これから始まる狂気を見ている視聴者の日常に重ね易くしているのかな、と。
2.群体生物「ホルガ」
・そんなこんなで辿り着いたのは、学友・ペレの故郷であるスウェーデンの田舎集落、ホルガ村。
そこでは90年に一度開かれる夏至祭がちょうど始まるところで、村人達も異方から訪れたダニー達を快く歓迎してくれる…。
・このホルガ村というコミューンは、もはや群体生物の域にまで達しているのだろう。
群体生物というのは、人間のような単一の生命ではなく、無精生殖によって自分のコピーを作り続け、それらが一つになって、まるで一つの生き物のように行動するというもの。
(クダクラゲなんかが有名なのかな)
ホルガの住民達は確かにそれぞれ独立した考えを持っているように見えるが、その実、彼ら彼女らの思考パターンは画一的で、それでいてあまりに機能的。
住民達は適正を見出されるとそれにふさわしい仕事が村から与えられ、結婚と生殖の概念は別に分けられ、血縁も管理される。
ホルガという大きな生命体にとって、住民達は血液であり細胞であり臓器なのだ。
そして脳でもある。
この手のカルトホラー物といえば、村の掟に疑問を抱く若者であったり村を牛耳る長老が出てくるのがセオリーだが、ホルガ村にはそういった存在は登場しない。
いや、正確には長老などは存在するが、決してその存在が出しゃ張ることはない。
彼らは常に村の総意として主人公達に接するのだ。
主人公達は村人に「個人」として接しているが、村人達は違う。
彼らは「ホルガ」という一つの存在として常に主人公達に接する。
彼らは「ホルガ」という巨大な生命体のひとかけらに過ぎないのだ。
72歳になった老人は崖から飛び降りる。
注目すべきは他の村人が殺すのではなく自分で死んでいる点。
これは細胞の自己死(アポトーシス)であり、ホルガ村の新陳代謝なのだ。
しかし、劇中で飛び降りた二人の老人の内、片方の老人は生き残ってしまった。
そこで登場したのが、木槌を持った村人だ。
彼は生き延びてしまい、苦しむ老人の頭に木槌を振り下ろし殺す。
これは自己死ではなく、外部からの損傷を受けて死んでしまう壊死(ネクローシス)になる。
自己死ではなく壊死した細胞と繋がる彼らは同じように痛がり、苦しむ訳だ。
そして古き細胞を捨て、これから生まれる新しい命、新しい細胞へと移り変わる…。
ここだけ抜き取って見てみても、彼らが如何に完璧で、不気味な群体生物なのかがわかる。
3.ルビンについて
・劇中、ホルガ村ではルビ・ラダーと呼ばれる聖典が信仰の中心となっており、ルビ・ラダーは今も書き続けられ、それを書くことが出来るのは意図的な近親相姦によって生み出された障害児であるルビンのみだと語られている。
ルビンは本作でもっとも謎の多い存在だろう。
ホルガでは「重度の障害によって知性による心の曇りがない」ので聖典はルビンにしか書くことが出来ないのだという。
そしてルビンは決していなくならないらしい。
これは恐らく、ルビンは代々存在していることを現している。
ルビンは障害を持ち合わせて生まれてくる為、寿命もそこまで長くはない(人生の季節ごとに分けられた宿舎ではない場所でルビンが寝ていたのもその為か?)。
ルビンが予期せず死んでしまった時の為に、必ず「次のルビン」は途切れずに用意されなければならないはず。
しかしそうなると、ルビンが存命している内に次の「ルビン候補」が生まれていなくてはいけない。
いくら近親相姦とは言え、障害(しかも重度の)を持った子供がそう簡単に生まれてくるとも思えない。
医療機関もない村では生まれてくる瞬間まで障害を持っているかどうかもわからない。
ではどうすればいいか。
そこでヒントとなるのが、劇中よく聞こえた赤ん坊の声だ。
主人公達の眠る宿舎では、絶えず赤ん坊の声が聞こえていた。
しかし、主人公達と我々視聴者が赤ん坊の姿を確認できる場面はない。
答えは簡単だ。見せられないのだ。
赤ん坊達は、意図的な近親相姦を繰り返し、量産されたルビン候補達なのだ。
劇中の性行為のシーンが強く脳裏に焼き付き過ぎたせいで最初この答えに辿り着くことが遅れてしまった。
よく考えてみれば、あのシーンは外の血であるクリスチャンとマヤの為の儀式であり、村人達が皆あのような儀式で子供を身篭るなど誰も話していない。
次代のルビンを効率的に産み出す為には数をこなすしかない。
そう考えてみれば、村全体の人口に対して若者の数が多いことにも納得がいく。
彼らは皆、近親相姦によって生まれたが障害を持たずに生まれてきた元ルビン候補達なのだ。
これは考え過ぎかもしれないが、他にもこの説を裏付けるようなシーンがある。
前述した老人の儀式、アッテストゥパンだ。
あの二人は「今年、72歳になった」のではなく、「あの日に72歳になった」のではないだろうか?
つまり儀式の日が誕生日だったのではないだろうか?
もしそうならあの日、兄弟でもない赤の他人同士が、この狭い村の中で同じ日に生まれたことになる。
妊娠周期は個人によるバラ付きがある為、一概には言えないが、少なくともあの二人は同時期に行われた性行為によって生まれた訳だ。
もし本当にそうなら、これは日常的に村の中で集団的な行為が行われているということになる。
しかし、当然そんなことをしていれば村の人口はとんでもないことになる。
当代のルビンが生きている以上、必要以上の「候補達」のストックは村の食いぶちが増えるばかりか、仕事に付けない者達で村が溢れてしまう。
もう何となく皆さん察しが付いているだろうが、答えは恐らく、あの正体不明の肉が使われたパイだったのではないだろうか。
劇中では「肉」としか言われていない上に、元になった動物達の痕跡がわかるような状態でシーンに映ることはなかった為、判別するのは難しいが、劇中後半のシーンでホルガ村には高度な動物解体技術が存在していることはわかっている。
邪推かもしれないが、あれだけ外界の倫理観から外れた村ならばカニバリズム程度のことは容易に行われていてもおかしくはない。
全ては聖典を書き続ける為、その為のルビンを絶えず用意しておく為なのだ。
4.ラストシーンとペレについて
・ラストシーン、ダニーは恋人や生贄達が燃えていく様を見て穏やかに微笑む。
このラストシーンの解釈は、それこそ見た人によって全くバラバラになるだろうし、それで正解なのだと思う。
なのでこれはお兄さんの考え。
ラストシーンにおいて、恐らくダニーは救われたのだろう。
この『救い』というのは、ずっと孤独だったダニーにとって、初めてホルガという本当の家族が出来たこと。
劇中でのダニーを見ていると、最初こそ困惑する描写は多かったが、ダニーはクリスチャンや友人達と違い、村人達を拒むシーンがなかった。
(村人達から勧められた物は基本的に受け入れ、村の女性達とも仲良く過ごしていた。)
言うなれば、『ホルガの素質』があった。
しかし、ダニーはそもそも余所者である。
いくら新しい血が必要とはいえ、それはクリスチャンで事足りているし、易々とホルガの住民になることは出来ないはずである。
そこで注目したいのは本作一番の狂言回しであったペレの言動だ。
ペレは大学の友人達を誘いホルガに連れてくることで、彼らを最初から『生贄』として運んで来たことは明らかだ。
(儀式の最後で生贄を連れてきたことを表彰されていた時の彼の笑顔が全てを物語っている。)
しかしダニーは最初の段階では今回の"生贄ツアー"には含まれていなかったはず。
これからホルガで何が起きるのかを考えれば、ペレの立場からしてみれば彼女の同行は好ましいことではないはず。
ところが彼は、拒むどころかダニーの同行を誰よりも歓迎した。
何故か?
ヒントになるのは物語冒頭の挿絵だ。
各所で言われている通り、この絵はこれから劇中で起こる全ての出来事が描かれている。
絵にある通り、ダニーは最初からホルガへと来る定めであり、村の一員になることも決まっていたことになる。
注目すべきはペレに相当する人物だ。
彼は絵の中で木の上から喧嘩をするダニーとクリスチャンを眺めている。
彼は以前から二人の不仲を知っていて、ダニーとクリスチャンを引き離したかったのではないか?
ペレが以前から今回の旅行の計画を練っていたことがわかるシーンがディレクターズカット版のシーンに存在する。
ホルガへ向かう途中、学友のジョッシュが読んでいる本に集中するシーンがある。
その時読んでいた本は『ルーン文字とナチスの関係について』といったもの。
ジョッシュ曰く、「ペレに勧められた」とのこと。
その時、ダニーは冗談混じりに「皆を洗脳しているのね?」とペレに話すが、ペレはただ笑うだけであった。
他にもペレは象徴的な行動を取る。
劇中において彼はよく絵を描いている。
そして冒頭の挿絵といい、本作には多くの絵が登場する。
("恋の魔法"の絵など。)
絵のタッチなどはかなり違うが、『ミッドサマー』という作品の中において、絵を描いているのはペレだけなのだ。
『ミッドサマー』において登場する絵が『予言』を意味するなら、絵を描く者であるペレは『予言者』ということになる。
更に言うと、ペレは劇中で唯一ダニーの誕生日を覚えていた人物だ。
そしてダニーの誕生日はホルガの夏至祭が始まる日と同じ日である。
前述の通り、もし夏至祭がアッテストゥパンで死んだ老人達の誕生日であるなら、ダニーは数十年後の夏至祭で72歳になる。
そしてペレは幾度となくダニーに語り掛けていた。
『君の気持ちはよくわかる』
何故わかるのか?
先程述べた通り、ホルガは群体生物と呼べるほどの共生団体である。
あらゆる感情や感覚をまるで自分のことのように共有できる集団。
そしてそのホルガの一部であるペレが、ダニーの気持ちはよくわかるとずっと言い続けていたのだ。
ダニーがホルガの一員になれる素質があることを、ペレは見抜いていたのではないか?
そう考えると、そもそもペレの中では彼女の旅行への同行は計画のうちであり、その為のお膳立てを事前にしていた可能性まである。
最後、ペレは草冠を被り村人達から生贄と女王になったダニーを連れてきた功績を称えられる。
それまで冠と言えば花の冠しか登場していなかったのが、このシーンでペレが被るものだけは草で編まれた冠だったのだ。
これは、もしかするとキリストが頭に置かれた棘の冠をイメージしているのでは?
本作がどこまでキリスト教へのアンチテーゼ的な要素を含んでいるかは不明だが、意識しているのは間違いない。(登場人物達の名前が全てキリスト教に由来しているなど。)
このシーンも、『クリスチャン』という名前の人物が毒で身動き一つ取れず生贄に選ばれるのを待つ横で、異教の民であるペレがキリストを彷彿とさせる冠を被り英雄として称えられていた。
クリスチャン達にとってみればペレは『ハーメルンの笛吹き男』だが、ホルガの村人達からすれば生贄を村に呼び、女王を連れて来た『福音』、救世主でもある。
そしてペレが救いを与えたならば、それはダニーにも言える。
ダニーはホルガの一員になるべき存在であり、それを見抜いていたペレは彼女を村へと導いた。
彼女にとって、結果的にペレはキリストになった。
ラストシーンの笑顔は、ダニーがホルガ村に完全に取り込まれた瞬間でもあり、真の家族を手に入れて救われた瞬間でもあったのだ。
5.総評
・本作が何を言いたいのかと言えば、それは『絶対的な倫理観など存在しない』ということ。
普段、我々が信じている倫理観というのも、結局はキリスト教的な倫理観なだけであり、その理の外側にいる人間にとってみればその考えの方こそ異教であり、恐怖を覚えるものであるということ。
自分達が普段信じているものが、もしかすると誰かにとっては受け入れ難いものであるかもしれない。
この映画を見終わった後に残る不安感は、自分の信じていた常識を覆されそうになる不安感なのだ。
人の倫理観や価値観など時代や土地によって変わっていくのは当たり前だ。
しかし、我々はついつい自分の価値観、倫理観に則って色眼鏡で物事を見てしまう。
クリスチャン達が最後までそうだったように。
ダニーは最後、ホルガの一員になることで染まってしまったが、それもまた正しいと言えるのか?
大事なことは疑問に思うこと。
常に常識を疑うことだ。
当たり前に信じられる物などこの世界にはないことを、この映画は伝えたいのかなと。
本作の監督であるアリ・アスター監督曰く本作は『恋愛映画』とのことだが(!)、宗教的なメタファーとしてダニーとクリスチャンの恋愛を軸にしたのなら、成る程と思える。
他人への好意、信頼は宗教の信仰に似ている。
ダニーやクリスチャンにも言えるが、「どうしてそれで付き合ってられるの?」と周りが思えるようなカップル達にとって、恋愛は依存になっており、依存は宗教の信仰に通じる。
相手の為なら例え暴力を振るわれようとお金を取られようと、それでも関係を続けようとする人達にとって恋人とは神であり、そこにあるのは恋愛感情ではなく依存という名の信仰なのだ。
最後、ダニーはクリスチャンを生贄に選ぶ。
それは単に彼女の依存先がクリスチャンからホルガ村に移っただけ。
そういう意味では、ダニーは新しい出会いに巡り逢えた…と言えるのかも。
宗教と恋愛は似ている。
是非覚えておきたい。
というか、この映画が日本で流行るなんてなかなか世界からしたら驚きなのかもしれない。
何せ、我が国はあのオウム真理教を産み出した国なのだから。そういう意味でも色々考えさせられる。
最後にもう一度。
あなたが信じている相手、あなたが信じているもの。
それは本当に正しいのか?
そして『正しい』とは何か?
それは誰が決めたのか?どこからやってきたのか?
目の前にある現実に、この映画と一緒に疑問符を浮かべてみるのも良いかもしれない。
〜〜〜
という訳で、『ミッドサマー』の感想もとい考察記事でした。
えらく長くなってしまって申し訳ない…。
途中、何書いてるのかわからなくなって変になっている場所も多いかも。
ここまで読んでくれたことに感謝です。
解釈的におかしなところもあるかもだけど、一回しか見てないから勘弁な!
(また見返したいけど見ていてしんどい映画なので…)
いやぁ、でもまた見たいなぁ。
レンタル始まったら見ようかな。
いやでもなぁ…。
そんな気分になる名作でした。
ではでは、また何かの記事で。
紙のオタクが気をつけたい感染対策
はろんぬ、アル中お兄さんだよ。
さて、最近なにかと話題な新型肺炎。
アメリカではインフルエンザで莫大な被害が出ている。
何を隠そうお兄さんも、つい先日まで風邪を引いてしまっていた模様。
そこで今回は啓蒙活動。
カードゲームオタクが気をつけたいウイルス・風邪対策を書いていくよ。
(アル中お兄さんは職場の都合上、衛生対策については少し詳しいよ)
・お風呂に入ろう!
→まず毎日お風呂に入ろう。
シャワーでもいい、とにかく全身を洗いましょう。
大気中には『浮遊菌』と言って目に見えない無数の菌がうじゃうじゃ浮いています。
そうした空間を普段僕らは歩き回っているので、とうぜん肌や髪の毛にそうした菌が付着します。
毎日お風呂に入っていれば菌が繁殖する前に洗い流されるので問題ありませんが、もしその状態で2〜3日過ごそうものなら、菌やウイルスはあなたの肌や髪の毛に付着したままあなたの老廃物を食糧に凄まじいスピードで増殖していきます。
一日過ごしたら必ずリセットの意味を込めて、体を洗いましょう。
・服を洗おう!
→先程書いたように、僕らの周りには浮遊菌が大量に浮いています。
肌や髪の毛に付着するように、当然着ている服にも付着します。
あとはさっきと同じメカニズムです。
服の汚れを餌に菌は増殖していきます。
服同士を纏めていたら当然、そこを媒介して服から服へ移っていきます。
肌着は一度来たら洗濯。
上着は除菌スプレーなどを吹きかけて風通しの良い場所にかけるようにしましょう。
・手洗い、うがいをしよう!
→人間の体の中でもっとも不衛生なのは手のひらとも言われます。
出掛ける前と後は必ず手洗い。
アルコールによる消毒も有効です。
(一般的な消毒用アルコールならOK。濃度75%くらいがベスト)
そして喉の粘膜を濯ぐ為にうがいも有効です。
また最近は30分に一回水を飲むことがうがいより有効だと言われています。
(喉の粘膜に付着した菌を流し込み胃酸で殺せる為)
・偏った食生活を避けよう!
→風邪だろうと新型ウイルスであろうと、発症するのは人の抵抗力が落ちた時です。
抵抗力=免疫能力は常に体のコンディションに左右されます。
普段からバランスの良い食事を心掛け、しっかりと睡眠を取るようにしましょう。
・スリーブを取り替えよう!
→やっとカードゲームの話題に入れた。
皆さん、いつまで同じスリーブを付けていますか?
大抵の人は二重以上でスリーブを使っていると思います。
この一番上のスリーブ、オーバースリーブは一月に一回くらいは入れ替えましょう。
よくオーバースリーブがカピカピになるまで使っている人を見ますが、大変危険です。
スリーブには細かい傷が付き、その傷にはあなたの汗や老廃物が溜まり、加えてデッキカットなどで他の人の手の老廃物も溜まって行きます。
そしてそれらで構成されたデッキは普段ケースにしまわれている為に菌がもっとも好む湿気も篭り易い。
使い古されたスリーブは菌にとってこの上ない環境なのです。
最低でも1〜2ヶ月に一回、大きな規模の大会に出場した場合はその直後に交換するのが良いでしょう。
また、注意したいのはカードーローダーです。
普段スリーブに入れないカード達を入れている為に入れっぱなしになっているパターンが多いです。
多くのローダーはプラスチック製の為に傷も入りやすく、不衛生な状態になっている可能性大です。
・プレイマットを洗おう!
→カードゲームを遊びながら喋り、笑い合っている間、プレイマットは常に皆さんのツバを受け止め続けています。
口内と肛門の菌数はほぼ同じだそうです。
ラバープレイマットは洗濯溶剤を薄めたぬるま湯に浸け置きすると良いらしいです。
詳しい洗い方は色々な方々が実践されているブログが多くあるので調べることをお勧めします。
また、アルコールスプレーを吹いて天日干しするだけでも効果的です。
(この場合は色落ちなんかが不安ですが)
とりあえず急いで書いたからこんな感じになりました。
書きながらほとんどカードゲーム関係ないなぁと思ったけどまあいいや。
(というか中古のカードが一番不衛生なんだけどもうこれはどうしようもないので諦め)
皆、上に書いてあることをしてからマスクを付けるようにしようね!
うんこがマスク付けても、うんこはうんこだぞ!
今日はここまで!
例の鞄をしばらく使ってみた感想
はろーん、アル中お兄さんだ。
今日は噂のあの鞄をしばらく使ってみた感想を書いてみるよ。
ことの発端はこのツイート。
https://twitter.com/ktodmmmmo/status/1144952099299418113?s=21
Kto.(けーと)さん(@ktoDMmmmo)がTwitterでオススメされていたこの鞄。
デッキの構築内容よりサプライに拘るアル中お兄さんとしてはとても気になる内容。
しかも、なんとこのバッグこの時Amazonにてセール中。
買わない選択肢がない。
という訳で買いました。
大きさとしては一般的なボディバッグくらい。
(気持ち横幅が大きいかな?)
表面は防水仕様ということで水を弾く感じ。
けーとさんが話していたように、外には充電用のUSBポートが付いているので、中にバッテリーを繋げれば外付けで携帯の充電が出来ます。
外ポケットは二つ付いていて、上の小振りな方のサイズ感はこんな感じ。
ダメカンケース(写真は百均のピルケース)やGXマーカーなんかを入れておくのに丁度良さげ。
下段の大きめのポケットはこんな感じ。
システム手帳なんかが丁度収まるサイズ。
一般的な長財布も丁度入るよ。
中を開けるとこんな感じ。
内部のスペースはかなり広めに感じる。
内ポケットもサイドと背面にそれぞれ付いていて、ペンを差して置けるバンドも付いてるよ。
物を入れるとこんな感じ。
(写真はアルティメットガードのサイドワインダー80×2と100×1、ポケカの公式プレイマット)
写真のように、シングルのデッキケースなら大きめの物でも2〜3個は余裕で入ります。
プレイマットは一般的なキャラプレイマット(タテ35センチくらいのやつ)だと入らないですが、デュエマやポケカの公式プレイマット(30センチ以下)だとピッタリ収まるよ。
コッチの写真はポケカのケース。
新書本(B6版)を中に入れてみるとこんな感じ。
バッグの中にデッキケース一個、プレイマット、本を一冊入れておくなんて具合に持ち歩くことも可能。
《使ってみて良かったポイント》
・かさばらない。
・内容量が多いのでデッキ以外にも色々と運べる。
・リュックじゃないのでオタクっぽさが薄い。
《ちょっとアレだなと思ったポイント》
・内容量が多いのでついつい必要以上に物を多めに入れてしまう。
・かさばらないだけで重量が減る訳ではないのでつめ過ぎると普通に重い。
こんな感じかな。
アル中お兄さんとしてはとても良いアイテムだと思いました。
csみたいに席移動が多い会場に行く時なんかはとても重宝するのでは?
あとはカードをする用事で出掛けるわけではないけど、もしかしたら少し遊ぶかも…みたいな時に使うと良さげ。
逆に、ガッツリ紙を遊ぶ時や落ち着ける場所で遊ぶ予定の時は普通にリュックサックなんかの方が良いかも。
個人的にはTOYGERさんから今度出る新しいデッキケースと合わせるととても良さげ。
(内寸的にはすっぽり入るっぽいよ)
以上、アル中お兄さんの鞄レビューでした〜。
それじゃ、またねー。